ミニバイク&レース
レース編
レースにでるきっかけはと言うと、ある男(万世)と知り合いになった事だった。

これが万世の走り
練習に誘われるがままに着いて行き、そこで凄いショックをうけたのでした。
何とそこでは、LOVE3と言うスクーターでハングオンをしながら膝から火花をちらして(膝にアキカンが付いている)走っているでわありませんか。
スクーターでこんな凄い走りができるの!と思いそれからはすっかりミニバイクの世界に、はまってしまったのでした。
そしてI.R.Tと言うチームを作り、改造スクータの耐久クラスがメインでレースをやり始めたのでした。
(その当時は走るのに夢中で写真を撮っていなかった)
これは今現在の残っていた部品の一部の写真です。
スクーターとNSR50でもらったトロフィーと、水冷にするため機械式のポンプを作ってもらった物、こんな感じで着いていた。
(今は電動ポンプがある)
当時スクーターのパーツ類は、市販されていなく水冷シリンダーもノーマルを加工して作っていた。
(Hiのエンジンは鉄製でしたが幸いにもアルミで出来たカーナのシリンダーがボルトオンで着けられた)
サンプル写真
当時スクーターにはディスクブレーキがなく、前後ドラムブレーキだった。その為MBX50のハブとモンキー用のホイールを組合わせて作って貰った。
(ドラム時代にブレーキが効かなくなりレース中にコースの隣の田んぼに落っこちてしまい・し・死ぬかと思った事がある)
改造スクータークラスも耐久レースがなくなりスプリントやバトルロイヤルえと変わって行ったのです。
それにつれマシンのほうも、どんどん過激になりショップで作ったマシンじゃないと、勝てなくなっていったのでした。
(お金のかかりすぎ)
そのころ丁度NSR50が発売されSP12クラスへ参戦するようになったのです。
(残念ながらこのころの写真も残っていませ〜ん)
秋ヶ瀬のモトチャンプ杯などにに参加していて、エキスパートクラスでは予選通過がやっとだった。
なんせ中には、あのGPライダーの加藤大二郎や武田雄一、亀屋長純、選手なんかが走っていたのだ、まだ子供だったけど。
ノリックはS80をやっていた。
それから日光サーキットで行われた8時間耐久レースは3年前までは毎年、出場していました。
これがその時の写真です。(バイクはNS-50、八耐用に作った)

上が自分で下がPOTEMKINです。

NS50のFRPシート(自作)
その後NSRはと言うと、結局ノーマルでは飽き足らずS50仕様になり、あげくのはてにはNSRのフレームにYZ80のエンジンが乗る、S80仕様に改造されたのでした。
YZのパワーに12インチタイヤの組み合わせはスーパードリフトマシン(日光を走った時タイヤのカーカスがあっというまに見えてしまった事がある)へと変貌を遂げてしまう。
そのため17インチのスリックタイヤを履かせようと思いアルミフレームも考えたがそれでは面白くないので、こんなマシンを作ってしまったのでした。
日光サーキットで12インチから17インチへ変わって行くまさにその瞬間の写真です。
(周りから変な注目を浴びていた)

何とこのマシンは、NSR50のフレームにYZ80のエンジンそしてNS-1の足周りにホイール、スリックタイヤという組み合わせです。
(スイングアームのピポットとフロントホークの径が少し違うくらいでホイールのアクセルシャフトまわりとかディスクの取付け部分はNSR50とまったく同じでした)
最初に組んだ時の、スイングアームはNSR50のノーマルでしたが、ホイールベースが短くリヤタイヤの真上に座る感じになってしまい、ヘアピンの立ち上がりでウイリーをしてしょうがないので、スイングアームもNS-1のものへ変更したのでした。
(リヤホイールだけならNSR50にボルトオンで着く)
しかしタイヤのグリップが向上した事により、秋ヶ瀬では平気だったのですが、日光サーキットのコーソクコーナーでは耐え切れずにフレームが折れるというアクシデントが発生したのでした。
(バックストレートでヨーイングがとまらなかった)
結局、このあとRS125のフレームにエンジンを乗せかえる事になってしまったのでした。
(乗る楽しさでは12インチにYZ80の組み合わせが最高だった)

いま現在のS80、これからエンジンを載せかえる計画をしている所です。

これは自作のシートカウル
そして現在I.R.Sミニ部門を復活、新たなるメンバーを加え再始動しはじめました。
茨城県鹿島郡、近郊の方ミニバイクに興味のある方は、色々なアドバイスが出来ると思いますI.R.Sまで。
| バイク・ガレージ | BIG・BIKE | スクーターGAREGE | Sportster | I R S |